運慶の仏像
UKB48のセンターは誰だ?!
現在、運慶作の仏像、つまり運慶仏(略して、UKB)として”確実視されている”もの、および”おおむね認められている”ものは下記の表1に示すように全部で31躯あります。31というのは”おおむね認められている”も含めた数字なので、この数字は人によっては異なるでしょう。
これ以外にも近年のさまざまな研究成果によって、新たに運慶作である可能性が高くなってきている作品もいくつかあります。
特に、興福寺南円堂の四天王像、東京国立博物館と静嘉堂文庫が所有している十二神将(浄瑠璃寺伝来)像、長野・仏法紹隆寺の不動明王像の計17躯は、今もっとも運慶仏(=UKB)に近い仏像といえるかもしれません。
31躯のUKB選抜メンバーに、いま挙げたUKB研究生17躯を加えると合計48躯になりますね。
UKB48が結成できるではありませんか・・・。
センターを決める総選挙したらどうなるかな?
やっぱり本命は円成寺の大日如来でしょうか・・・無著、世親も負けてはいませんね。
表1では、運慶の現存する最古の作である円成寺の大日如来像から、晩年の作である称名寺の大威徳明王まで作成された年代順(一部、推定)に並べています。
表2には、先ほどの17躯を含め、運慶作候補生を挙げています。
表1: UKB選抜メンバー(31躯)
運慶度 | 仏像名 | 所有 | 区分 | 公開時期 | 安置場所 | 製作時期 | 員数 | 説明 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
★★★★★ | 大日如来坐像 | 円成寺 | 国宝 | 通常 | 多宝塔 | 1176年 | 1 | 台座内部に「大仏師康慶実弟子運慶」の墨書銘があることで 知られる。運慶作であることが確実な現存最古作にして、 最高傑作。ほぼ運慶独りで造ったと考えられる。 |
☆★★★★ | 仏頭(伝釈迦如来像) | 興福寺 | 重文 | 通常 | 国宝館 | 1186年 | 1 | 興福寺西金堂本尊の釈迦如来像。もともと成朝作とも推定さ れていたが、近年、史料研究の成果により運慶作である可能 性が有力となっている。 |
★★★★★ | 阿弥陀如来坐像 | 願成就院 | 国宝 | 通常 | 収蔵庫 |
1186年~ |
1 | 不動、毘沙門と共に、北条時政の発願によって造られた。 どっぷりとした体格と、激しく流れる衣文が鎌倉時代の幕開け を感じさせる.両目と鼻は修復されている。 |
★★★★★ | 不動明王及び二童子立像 | 願成就院 | 国宝 | 通常 | 収蔵庫 | 1186年~ 1189年 |
3 | 江戸時代に、不動明王像の胎内から取り出されたとされる銘 札に運慶の名が記されている。不動の姿勢と二童子の配置 に運慶の空間利用の巧みさが見られる。 |
★★★★★ | 毘沙門天立像 | 願成就院 | 国宝 | 通常 | 収蔵庫 | 1186~ 1189年 |
1 | 生きているような現実感と指先まで張り詰めた緊張感は日本 彫刻史上屈指の武装形像にふさわしい。阿弥陀、不動及び 二童子像と共に2013年に国宝指定された。 |
★★★★★ | 阿弥陀如来及び両脇侍像 | 浄楽寺 | 重文 | 要予約 | 収蔵庫 | 1189年 | 3 | 1189年に鎌倉幕府御家人の和田義盛の発願で、不動、 毘沙門と共に運慶が作成したことが分かっている。 |
★★★★★ | 不動明王立像 | 浄楽寺 | 重文 | 要予約 | 収蔵庫 | 1189年 | 1 | 不動、毘沙門ともに願成就院像とよく似ているが、 比較すると力強さや躍動感が少ない。 工房の小仏師の手による部分が多いか。 |
★★★★★ | 毘沙門天立像 | 浄楽寺 | 重文 | 要予約 | 収蔵庫 | 1189年 | 1 | 昭和34年に本像から銘札が見つかったことにより、 願成就院像の再評価ともに運慶研究 の進展につながった。 |
☆★★★★ | 大日如来坐像 | 真如苑 | 重文 | 不定期 | 東京国立博物館 | 1193年 | 1 | 栃木県足利市の樺崎寺下御堂に伝わったとされる像。 平成20年にオークションに出され、14億円で落札された |
☆★★★★ | 地蔵菩薩坐像 | 六波羅蜜寺 | 重文 | 通常 | 宝物館 | 1190年代(?) | 1 | 六波羅蜜寺の境内に運慶が建立したとされる十輪院の 本尊とみられる像。作風から運慶作の可能性が高い。 |
☆★★★★ | 大日如来坐像 | 光得寺 | 重文 | 不定期 | 東京国立博物館 | 1195年~ 1199年頃 |
1 | 栃木県足利市の樺崎八幡宮に伝来し、明治期に光得寺 に移された像。足利義兼が1199年に亡くなる前後に造ら れたとみられる。 |
☆★★★★ | 八大童子立像 | 金剛峯寺 | 国宝 | 不定期 | 霊宝館 | 1197年 | 6 | 江戸時代の史料で、高野山一心院谷不動堂の八大童子が 運慶作であると記載があり、本像がそれに該当すると みられる。X線写真により、胎内に月輪形の銘札が 納められていることがわかっている。矜羯羅、制多迦 の2躯は特にすばらしく、運慶の手によると推測される。 |
☆★★★★ | 聖観音菩薩立像 | 滝山寺 | 重文 | 通常 | 宝物館 | 1201年 | 1 | 頼朝の遺髪、歯が納められたという記録があり、 X線写真でもそれらしき映像が確認されている。 |
☆★★★★ | 梵天立像, 帝釈天立像 |
滝山寺 | 重文 | 通常 | 宝物館 | 1201年 | 2 | 聖観音とともに、滝山寺惣持禅院に安置されていたと 考えられている。惣持禅院は源頼朝の親類にあたる 寛伝が建立したお堂。 |
★★★★★ | 金剛力士立像 | 東大寺 | 国宝 | 通常 | 南大門 | 1203年 | 2 | 修理時の調査により、阿形を運慶と快慶が、吽形を 定覚と湛慶が担当したことが判明。全体を統括した 運慶は阿形は快慶に任せ、長男湛慶ら が関わる吽形にかなり手を入れていると見る向きもある。 |
☆★★★★ | 俊乗上人坐像(重源像) | 東大寺 | 国宝 | 7月5日 | 俊乗堂 | 1206年頃 | 1 | 作者は重源と繋がりが強かった快慶という説もあるが、 無著や世親につながるような作風から運慶作の見方が強い。 |
★★★★★ | 弥勒仏坐像 | 興福寺北円堂 | 国宝 | 春と秋 | 北円堂 | 1212年 | 1 | 北円堂本尊。鎌倉初期の復興造像では北円堂諸仏を 運慶の総指揮のもとで運慶工房の仏師達が分担した。 |
★★★★★ | 無著菩薩立像, 世親菩薩立像 |
興福寺北円堂 | 国宝 | 春と秋 | 北円堂 | 1212年 | 2 | 弥勒仏とともに完成。銘記によれば、無著は運慶 の五男の運賀、世親を六男の運助が担当した。 |
★★★★★ | 大威徳明王像 | 称名寺光明院 | 重文 | 不定期 | 金沢文庫 | 1216年 | 1 | 2006年の修理の際に納入文書が取り出され、運慶作で あることがわかった。現存する運慶再晩年の作である。 |
表2: 「運慶仏研究生」たち – この中に次代のUKBが!?-
運慶度 | 仏像名 | 所有 | 区分 | 公開時期 | 安置場所 | 製作時期 | 員数 | 説明 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
☆☆★★★ | 四天王立像 | 興福寺南円堂 | 国宝 | 10月17日 | 南円堂 | (1212年) | 4 | 近年の研究により、本来は現南円堂安置の四天王像は 当初は北円堂安置だった、つまり弥勒仏、無著・世親と 共に運慶工房によって製作されたという説が有力である。 |
☆☆★★★ | 十二神将立像 | 東京国立博物館(5躯)、 静嘉堂文庫(7躯) |
重文 | 不定期 | 1212年頃 | 12 | 以前より、作風が運慶工房の手によると指摘されていた像。 明治期の新聞記事には、胎内に運慶の銘文があった と報告されている点が近年、注目されている。 |
|
☆☆☆★★ | 不動明王立像 | 仏法紹隆寺 | 県指 | 予約 | 13世紀 | 1 | X線写真で胎内に納入された月輪形の銘札が確認されて いること、および作風から運慶作という指摘がある。最近の 調査でも結論は出ていない。 |
|
☆☆☆★★ | 舞楽面(抜頭面) | 瀬戸神社 | 重文 | 非公開 | 1219年 | 1 | 北条政子奉納と伝わる面。面の裏に運慶銘がある。 後世の記入と見られ、銘記の信憑性は定かでないが 作風は優れており、伝来の点からも運慶作でも不思議ではない |
|
☆☆☆★★ | 伝 観音菩薩立像, 勢至菩薩立像 |
清水寺 | 重文 | 不明 | 12世紀 | 2 | 本像の製作年代が1170年代~80年代であるとすると、 初期の運慶作品と近い点が指摘されている。 |
|
☆☆☆★★ | 菩薩立像, 地蔵菩薩立像 |
満願寺 | 重文 | 予約 | 収蔵庫 | 12~13世紀 | 2 | 浄楽寺の阿弥陀三尊の脇侍に近い作風が注目される。 運慶もしくは、運慶の影響を受けた在地仏師の作という 指摘がある。 |
☆☆☆★★ | 多聞天立像 (四天王のうち) |
東福寺 | 通常 | 仏殿 | 12~13世紀 | 1 | 金剛峯寺の八大童子と近い雰囲気があり、13世紀初頭の 運慶もしくは運慶工房の作という見方がある。 |
|
☆☆☆☆★ | 薬師如来坐像 | 西教寺 | 非公開 | 13世紀頃 | 1 | |||
☆☆☆☆★ | 千手観音立像 (千体仏のうち) |
三十三間堂 | 重文 | 通常 | 本堂 | 12世紀 | 1 | 三十三間堂の千体千手観音当初像(1164年制作)の中に 「運慶銘」の墨書がある1体が知られている。 ただし、信憑性に疑問が残る。 |
運慶研究の第一人者である山本勉先生は、運慶作と伝わる仏像を次の4つのタイプ
- 作品自体に、造像当初の運慶銘記がある
- 同時代の確実な史料に運慶作と記載されている作品に該当することが明らかであるもの
- 後世の史料に運慶作と記載されていて、作風も矛盾しないもの
- 作品の作風、構造、技法や伝来状況に関する現代の美術史研究により運慶作品と考えられるもの
に分類[1]しています。
今回、この分類をベースに運慶度を次のように評価しました。
★★★★★ 運慶度100%(タイプ1もしくは2)
☆★★★★ 運慶度80%(タイプ3)
☆☆★★★ 運慶度50%(タイプ4)
☆☆☆★★ 運慶度30%(タイプ4)
<参考文献>
[1] 山本勉監修 :別冊太陽176 運慶 時空を超えるかたち, 平凡社, p.144, 2010.