鞘仏!西井戸堂妙観寺の十一面観音(奈良県天理市)

奈良盆地の中央に位置する天理市の西井戸堂という地域に鞘仏(さやぼとけ)の十一面観音像が安置されています。

図1 天理市西井戸堂・妙観寺観音堂

図1 天理市西井戸堂・妙観寺観音堂

観音堂中央に安置される十一面観音像は像高229cmの大型の仏像です。

西井戸堂妙観寺 十一面観音

図2-1 西井戸堂妙観寺 十一面観音

図3-2 十一面観音 表情

図2-2 十一面観音 表情

暗くて少し見づらいですが平安後期の穏やかな表情といった感じです。お堂の背面まで開けていただき、背中と台座も拝ませていただきました。

西井戸堂妙観寺・十一面観音背面

図2-3 背面

特徴的なのは、通常の観音像ように蓮花の上に立っているのではなく、円筒台の上に直立しているところです。

図4 台座

図2-4 台座

この観音像が製作されたのは平安時代後期とみられていますが、像内には本体よりも古い時代(奈良時代、 8世紀頃)とみられる塑像の心木(しんぎ)が納められています。円筒形の台座部分も心木の一部分であり、現在の観音像が心木を覆っている形状になっているという珍しい仏像なのです。(図3)
元の塑像の心木を刀、現在の本体部を鞘のように見立てて、本体部は慣習上、鞘仏と呼ばれています。

西井戸堂妙観寺・十一面観音 心木

図3 心木

もともと、奈良時代に製作された塑像の仏像が何らかの事情で大破し、塑土の造形は失われてしまい心木のみが残ったと推定されています。原像の霊験性を、新しい像に受け継ごうということで、心木を胎内に納めて現在の観音像が再興されたと考えられています。元の塑像が大破した時期は、現存する本像の様式から推定して、平安時代後期頃と推測されているようです。心木は210cmほどで、写真のほうに頭部と上半身、下半身がわかる程度の造りとなっており、本来の塑像の造形がどのような姿であったかはこれからはまるでわかりません。
現在の本体が十一面観音なので、もとの塑像も十一面観音であったと推測されますが、心木からは十一面観音であった痕跡は見つからないとのことでした。もちろん現在も心木は胎内に納められているため、心木は拝観することはできません。

このように像内に破損した古像を納めている鞘仏としては、福岡・観世音寺の不空羂索観音、和歌山・道成寺の本堂安置の千手観音(北向観音)や、新薬師寺のおたま地蔵などが知られています。

もともとこの観音像は山辺御県坐神社(やまのべのみあがたいますじんじゃ)の神宮寺であった妙観寺の仏像でした。明治の神仏分離令によって山辺御県坐神社の境内地は二分され、神宮寺である妙観寺は廃寺となり妙観寺の建物などは取り壊されました。そのような中、妙観寺の十一面観音はその二分された一方の土地に建てられた集会所の建物の一隅で秘かに守られてきたそうです。そして、昭和11年にこの十一面観音像が本格修理されるにあたって、集会所のあった場所に現在の観音堂が建てられ、改めてこの観音像が安置されたのでした。大破してもなおその霊験性が受け継がれ、明治には廃仏毀釈の嵐を潜り抜け、さらには現代になっても地域の人々の手によって大事に守り続けられている妙観寺の観音像。それだけ地元の人々の篤い信仰を感じます。

天理市西井戸堂・妙観寺
所在地:天理市二階堂町西井戸堂地区
開帳:6月、7月、8月の各17日
(それ以外は要予約)
拝観料:300円
問い合わせ:天理市教育委員会

2014-01-18 | Posted in 仏像, 奈良No Comments » 

関連記事

Comment





Comment