神奈川・龍華寺の天平仏
概要
神奈川県横浜市金沢区の龍華寺に、東日本では唯一の脱活乾漆造の菩薩坐像が伝来します。龍華寺は、源頼朝が三嶋大社を勧請して瀬戸神社を建立した後に神宮寺として六浦山中に建てた「浄願寺」が前身といわれています。この脱活乾漆の菩薩坐像は、平成10年に龍華寺の宝蔵が改築される際に調査が入ったところ、厨子内から破損した状態で発見されました。発見当初はかなり破損し欠損部分が多かった上に近世の補修によって分厚く泥土が塗られていたり、本来の右足が左足としてつけられていたりしましたが、市の文化財修理補助事業として専門家による検証のもと慎重に修復が進められ、現在は本来の姿と思われる状態に復元されています。
写真は2004年、菩薩坐像の修理完成披露と寺宝の調査成果公開のために行われた特別展「龍華寺の天平仏―その謎にせまる―」の図録です。写真でみてもわかるように、この菩薩坐像は端正な顔立ち、しなやかな肉体がとても美しいと思います。
通常は非公開のようですが、2013年6月に金沢文庫において龍華寺とゆかりの深い瀬戸神社に関する展覧会(関連エントリ)が開催されたのにあわせて、同会場で特別に展示されました。3年前に龍華寺で特別公開されたこともありますが、そのときは行けなかったため、ようやく念願かないました。次回の公開はいつになるかわかりませんが、また公開される際にはぜひとも拝みたい仏像ですね。
伝来について
台座の墨書より、江戸時代に塔頭の福寿院(明治期に龍華寺に統合)に安置されたことが判明していますが、それ以前の伝来は不明な部分が多いようです。本像の頭部が兵庫県加美町の金蔵寺に伝わる阿弥陀如来像頭部(乾漆造)と酷似した作風を持っているため、もともとは金蔵寺伝来の阿弥陀如来の脇侍菩薩であった可能性も指摘されています。さらに、金蔵寺の阿弥陀如来はもとは神呪寺(西宮市)もしくは摂津国分寺(大阪府)の旧仏であった可能性があるということで、龍華寺像もそのいずれかの寺院に安置されていたのかもしれません。だとしても、どのような経緯で東国にやってきたかなど依然として不明な点は多く、謎は尽きませんね。
天平の脱活乾漆像の遺品は、奈良もしくはその近辺に集中しており、本像が発見されるまでは分布の東限は岐阜の美江寺十一面観音(ただし、もとは伊賀の名張にあったとされる)でした。西には香川の願興寺聖観音像がありますが、これらの脱活乾漆像は奈良で制作された可能性が強いといわれています。龍華寺に伝来した像も、本格的な技法や作風の上から奈良での制作が推測されるところです。
データ
龍華寺・菩薩坐像(脱活乾漆造, 天平時代)
数少ない天平時代の脱活乾漆像の遺品で、豊かで均整のとれた面相や体躯、写実的な衣褶表現に、天平時代の特色が認められ、技法的にも造形的にも優れた水準を示す貴重な作である。(修復事業助成を行った住友財団のwebより引用)
龍華寺
所在:神奈川県横浜市金沢区洲崎9-31
アクセス:京急「金沢八景駅」から徒歩10分
<参考文献>
[1] 特別展図録「龍華寺の天平仏―その謎にせまる―」, 神奈川県立金沢文庫,2004.